新しい趣味

新しい趣味

好奇心から色々なことを始めるも、飽き性であるが故に長続きしない。

幼い時から続けてます!だとか 始めて○○年目です!

という言葉がとても眩しく感じていた。

そんな自分にオススメの趣味を紹介してもらったときの話である。

自分では考えつかないような趣味ではなく、敢えて

過去に趣味としていたものをここでは、2つ挙げたい。

というのも、実は殆どの人が〈新しいもの〉を探すことより〈飽き性〉という私の特性に注目していたからである。

1つ目は、茶道だ。

当時の私は、小学生。

正座で脚が痛くなるだとか、点前難しいなとか、お抹茶と和菓子美味しいな、くらいにしか考えていなかった。

実際は、茶道には幾つもの流派があり、それぞれにおいてお茶のたて方は勿論のこと、茶室に入る前からその作法は全く違うのだという。

どの流派にも共通していること、それは

茶室は、敵、味方や身分、人としての上下は関係なく心を通わせることの出来る憩いの場所だということ。

ほらもう興味が湧いてきた。笑

知れば知るほど疑問も湧いて、もっと!となる自分

知的好奇心を弄られてる気分だ。

古代ローマ人のテルマエ(温泉)も、日本の茶室と同義の場所であったらしく、身分関係なしに裸の付き合いをすることで、富裕層の人と仲良くなることでご飯に誘われたりと幅広い人間関係を構築していたのだという。こうして比較してみると歴史を知ることの愉しさに改めて気付かされる。

2つ目は、写真。

1番最初に写真を勧められた時、正直「え?」と思った。

今の時代、スマホ持ってない人なんて殆ど居ないんだし、新しい趣味を探してる人間が写真を撮らないなんてことある?と、笑

しかし、すぐに分かった。

この人は、私の知らない〈新しい〉写真の世界を教示してくれているのだと。

私の知る世界は、直感に身を任せて彩る世界

その人の世界は、意図的に撮影することで見える世界

同じ季節、同じ場所、同じ時間、同じ角度、全ての条件を揃えても尚、同じになることは無いその写真

直感で撮影したものより、リアルに投影されるであろうその時の心情が写し出されることに気付かされた。

言い方は悪いが、感情のみが写るその写真に少しばかり恐怖を覚えた。それと同時に、その恐怖は私に重要な学びを与えてくれたのである。

作品だけではなくその心 自分自身を誰か/歴史に刻み込む

そんな感覚を初めて自分の中で具体化できた。

何かを創作することを将来の目標として掲げている自分にとって〈人の心を動かす〉というのは魅力的だ。

そんな自分が、写真ではなく、写真をこよなく愛する人の魂に震えた瞬間だった。

今回の2つ趣味から言えることは、何事も

名詞 = 既存概念 / そのものの一連の流れ

としないことである。

始めから全てを理解することなど至難の業

何かを始めたら、全体像に囚われるのではなく

数あるプロセスの中で1つでも好き/得意だと思える

点を見つけることが奥を深めるきっかけとなり結果的にそのものを長く続けられる、そのものを長く続けたくなる ということ。

当たり前のことなのかもしれないけど

それに気づけたことがとても嬉しかった。

自分は、今、何かを長く続ける為の〈点〉を見つけるフェーズにいることを確信した。